影響を受けた人物 〜故 横井軍平氏〜

「ある特定の人」に影響を受けた人生を送っていることがある人は多いと思う。
私の場合、この人に出会わなければ、私がコンピュータの世界に興味を持ち、仕事としよう…等と多分思わなかっただろうと思える人物が一人いる。

 横井 軍平

日本のゲーム界がこれほど盛況になったのは、この人の影響がものすごく大きいといって過言ではないといえる。
マジックハンド」「ゲーム&ウォッチ」「ゲームボーイ」…などなど、この人がいなければ世に出てこなかった作品たちであり、文字通り、彼がこれらの作品の生みの親である。

そもそも、こんな偉人とボンクラCAMUSとがどこで初めて出会ったのか、というと、コレが定かではない。(笑)
物心がついたころ、当時、任天堂というと「花札」や「トランプ屋」というあだ名がついているほど、それらで生計(?)をたてているかのような企業であり、実家には任天堂のマークがついた花札やトランプがそこら中に転がっていたし、普通には手にはいらないオモチャ類もなぜかあった。
もうちょっと知性がついたころ(笑)、実はそれらトランプやオモチャという産物が父名義の任天堂の株券がもたらしているものと、それ以外のルートの2種類あることがわかった。
それ以外のルートというのは、実は私の実家と横井家との間には、家族ぐるみの付き合いがあったことに由来するルートである。
そんなわけで、物心ついたころには、すでに知り合いだったもようである。(^^;)

普通では手にはいり難いオモチャというものの代表選手は「試作品」である。
実家にあったゲーム&ウォッチは回りの友人などが持っているものとなぜか色が違ったことがあり、実は試作品をもらっていたということがあった。
ファミコンのカセットには色がついておらず、マジックでゲーム名が書かれているものもあった。
今となっては家捜ししないとそれらがどこに行ったのかは定かではないのだが、見つかったら…ヤフオクなんかでめっちゃ高い値段がつくんやろうか?なんてヒドイことを考えてみたりする。(^^;) 実際はそんなもったいないことはしないが。
平氏に直接会う、という機会はしょっちゅうはなかったが、軍平氏の恩恵は確実にこんな感じで授かっていた。
恩恵を受けている最中…ことに幼いころは、失礼ながら、もらえてラッキー程度の軽い感動ぐらいしかなかった。

それが、「軍平おじちゃんは凄い!」という感動に変わったのは、Microsoftビル・ゲイツが「十字キーというインターフェイスは凄い」と絶賛した、ということを知ったときであった。
ビル・ゲイツがそう言ったからと言うことで感動したわけではなく、海のはるか向こうの有名人が日本人の偉業を褒め称えたということで感動したのだ。
海外の人にも絶さされるものを作り出した軍平おじちゃんは凄い人だったんだ!…と、単純思考な私の頭は、軍平氏に対する意識をすべて「凄い!」に一気に塗り替えてしまった。

その後、しばらく経ってから軍平氏の本が出されるようになって来た。
本屋で見かけたことを親に話すと、すでに実家にはきちんとあったらしく、ぽんと出てきたことを覚えている。(笑)

本はすべて読んだと思うのだが、どういうタイトルであったか忘れた。(^^;)
ネットで検索したところ、「横井軍平ゲーム館」というタイトルのものがあったらしい。
それ以外にも何冊か…というか少なくとも別に1冊はあったと記憶している。
# 今度実家に帰ったとき、確認しようと思う…。

惜しくも21世紀になる前に他界してしまった軍平氏
通夜・本葬共に弔問客はものすごい顔ぶれであった。
海外の新聞でもその弔報が載っていたほど、海外の影響力もものすごくあったのだと再度痛感した。
他にも「やっぱり軍平おじちゃんは凄かったんだ!」と思えるエピソードはいくつかあったのだが、書くと大変なことになるのでナイショ。(笑)

平氏の偉業の影響力は、その死後も続いた。
なくなられて5年以上経ってから、「IGDA,GB開発者の故・横井軍平氏を表彰」ということで、表彰されることになったのである。
平氏の名代として奥方が渡米し、賞を受けてきた。[当時の様子]
奥方はそのときのために着物を新調し、張り切って行ってこられた。
ついでに、私の母も奥方の着物の着付け担当として行きたかったらしいが、予定があわず断念、帰国時には我家の娘のために犬のカワイイぬいぐるみをお土産に買ってきてくださった…なんて裏話つき…どうでもいい、そんなこと。(爆)

そんな軍平氏の恩恵を受けるうちに、「どうしたらこんなものができるのだろう?」と、仕組みを理解したくなる気持ちが芽生え、コンピュータに携わるきっかけなのだったろうと、今では思う。
こうやって、いまのCAMUSの一部が、彼の影響を受けて構成されていったのであった。

NINTENDO DSが出た今、軍平氏が生きていたら、どういうソフトが産まれていたんだろう。
きっと突飛なんだけど、なんか安心できて単純でもハマるものを、どんどん作っていってくれていたんだろうな、と思う。

そして、少なくとも、私に会ったら、いつもの「一言、軽めの毒舌」でぴしっとやられちゃうんだろうなぁ…なんてくだらない想像をするのでありました。
…書いているうちに、また悲しくなってきたCAMUSでありました。(涙)