順天堂浦安病院とのお付き合い

私が順天堂浦安病院とお付き合いしだしたのは、2002年の夏のことだった。

付き合いのきっかけは、育児休暇より復帰してはじめての会社の健康診断で、血液検査の結果で引っかかってしまい、再検診の要請が来ていたことだった。
会社の再検診の指定日より前に、喘息など内科的部分を診ていただいていた開業医(H先生)のところに行く機会があったので、検診結果を相談したところ、
「白血球の値が多少多いのはよくあること(CAMUSは元々白血球の値が多め)だが、白血球の像がちょっと気になる。確かにこれはちゃんとしたところで診てもらった方がいい」
とのことで、順天堂浦安病院あてに紹介状を書いてもらった。

なぜそこで、順天堂浦安病院を選択したのか。
それは、CAMUSの自宅から一番近い血液内科のある病院だったからである。
とりあえず検査だから、とりあえず近いところでいいでしょう、治療をすることになるのであればまた別のところを選択してもいいですし、じっくり考えればいいから、とH先生にアドバイスを頂いた。

取り合えず、順天堂浦安病院に電話で連絡をし、金曜日の方が比較的空いているから金曜日に来た方がいいのでは?と言われ、会社を休んで病院に行くことにした。
金曜日の血液内科の担当は、当時A先生だった。
A先生はハキハキとした受け答えをしてくださり、疑問に思ったことは濁さずにちゃんとお答えをしてくださった。
その日は問診と採血をしただけで、一週間後また来てくださいといわれた。

後日、血液検査をした結果を聞きに行った。
一番疑いのある病名は慢性骨髄性白血病だとズバリ仰られた。
本当にこの病気なのかどうかは骨髄検査をしてみないとわからないけれども、もし、病気なのだとしたらこれだと思いますとのことだった。
そして、あっさりと、「もし、この病気だったとしてもちゃんと治るから安心してね。」とA先生は明るく仰った。

そして、初マルクをうけ、いたーい(T_T)思いをして骨髄をとり、検査してもらうことになった。
後日、検査の結果を聞きに行くと、
「間違いなく、慢性骨髄性白血病です」
と診断された。
昔はインターフェロンという注射の薬が主体で治療していたけれども、いまはグリベックという飲み薬があって、こっちの方が良く効くから、こちらで治していく事になると思いますとのこと。
そして、治療担当は月曜日・木曜日担当のN先生だとのことだった。

当時、病名を宣告され、私がショックを受けたかというと、実は、ちっともショックではなかった。
むしろ、病気だと知って、「ああ、神様がちゃんと休憩しなさいって仰ってるんだ」とほっとしたものだった。
家事・育児に疲れ切っていた私にとって、慢性骨髄性白血病は救いの神のように思えたものだった。

…とは言うものの、病気だからといって誰かが私の代わりをしてくれるわけではないし、病気に甘えるわけにはいかない。
自分でがんばりすぎないよう、自分で自分の体をコントロールするしかないのだと思い知ったのは、もう少し後になってからのことだった。