私の一部だったものの終止符を打つ…その前の遺言状

昨年、私は大失態をしてしまった。
プロジェクトのキモになる部分の巨大なモジュールの構築を一人で抱えてしまい、相談する人もないまま火の車に突入してしまったのだ。
相談する人がまったくいなかったわけではない。一人だけいた。
ただ、物理的にスケジュールが合わず、相談する時間をもてなかったのだ。

そして、デス・マーチが流れ…スケジュールの空いた相談できる唯一の人物がついにプロジェクトに投入された。

かなりプロジェクトのスタッフには大迷惑をかけてしまった。
申し訳ないと今でも思っている。

この件は、私にとってSE(システムエンジニア)/PG(プログラマ)としてやっていく自信というものを完璧に打ちのめしてしまった。
もう、その自信はかけらすら残っていない。
私は自分で自分自身に「役立たず」のレッテルを貼ることにした。

もともと、SE/PGとしてやっていくだけの器量が自分にはあるのか?ということを、ここ4〜5年の間、ずっと思っていた。
 技術力があるわけではない。
 情報の探し方が得意であるわけでもない。
 コミュニケーション力があるわけでもない。
 スケジューリングができるわけでもない。
 かすかに人脈はあるものの、それを統合・使い分けできるだけの器量はない。
こんなので、SE/PGとしてやっていけるわけがないではないか。
じゃあ、なぜ続けているのか?…それは、この職業以上に私がお金を一番稼げる方法がないから。
そんな自問自答を毎日のように繰り返しているときに先の件が起こったのだから、自信は砕け散ってしまうに違いないし、実際、本当に砕けてしまった。

砕け散っている抜け殻のような私でも、まだ感じる部分というものは残っていたようだ。
先の相談できた相手に
「お前のせいで俺がどれだけつらい思いをしているのかわかっているのか」
「お前のせいで俺も回りも地獄を見た」
等といわれ、余計にへこむ自分がいた。
いわれることはごもっとも。私が悪い。本当に反省している。
でもそれよりも気になったのは、へこむ部分があったということ。
へこむ部分があるということは、まだ出っ張っているところがあったということ。
こんな文章をかけるぐらいなのだから、完全に抜け殻となる…という事あまりないのかもしれない。
ということは、これからも同様のことをなじられてへこむ生活は永遠に続くのだろう。

そう、永遠に。

そして、私に二度とチャンスはない。
もし、汚名をそそぐチャンスとして、プロジェクトの中核にすえられたとしても、先の彼に必ずつぶされてしまうから。
「お前は絶対実装をするな」
「お前がやると、あの件の二の舞に必ずなるから、そうならないよう進言しておく」
そういうことなのだ。