冬の荒神橋への願い

京のエコライフ歳時記さんところの荒神橋からというアーティクルで、久しぶりに荒神橋周辺風景を見ることができ、少しほっこりした気分になった。

荒神橋は京都の鴨川にかかる橋のひとつで、そう交通量は多くない。
場所はこのへん(By livedoor Map)にある。

なぜこの橋が私にとって「ほっこりした気分」をさせる場所なのか、というと、高校時分の通学路としてお世話になっていた、懐かしい場所だからである。
当時の朝夕、ものすごいスピードで自転車をかっ飛ばしてこの橋を通り過ぎていたことを思い出す。

荒神橋というと、冬の季節のほうが思い出が多い。
冬には荒神橋周辺でイベントがあるからだ。

イベントというのは2つ。

一つは、私は荒神橋から程近いところにある高校に通っていたのであるが、冬の季節になると必ず行われる授業に「持久走」があった。
持久走では、荒神橋の袂に集合し、鴨川の土手から加茂大橋と丸太町橋とをわたってぐるりと一周する、というコースを走るのである。

土手を走っているといろんなものが目に入る。
犬を散歩させるおじいちゃん、弁当食ってるサラリーマン、ディーブキスしているカップル(笑)、別の高校のやつらも持久走をしている。
人だけじゃなくて、寒さをじっと我慢している桜の木、はとやすずめ、あわてて逃げていく青大将、そして…

 ゆりかもめ

そう、二つ目の冬のイベントはゆりかもめである。
冬になると、鴨川には沢山のゆりかもめが越冬のためにやってくるのだ。

持久走をしているときも、このゆりかもめに沢山出会う。
そして、持久走をしている私たちをあざ笑うかのように、頭の上を掠めるように飛んでいく。
私たちの頭の上だけでなく、橋を行き交う車の近くでも平気で飛んでいく。
荒神橋を自転車で通っているときに、頭をホントに掠められたこともある。(怖)

ゆりかもめは人をあまり恐れない。
恐れないのには、理由がある。

えさをやる人がいるのだ。

えさをやる人は、2種類いる。
まずは、土手に下りて、えさをやる人。この人は大概同じ時間に、どんな天候であろうとえさをやりにくる人である。
土手を通行する人には多少邪魔にはなってはいるが、なるべく通行の邪魔にならないよう配慮をして下さるようなそぶりを見せてはくれるし、ゆりかもめたちも、えさをやる人の周りには2次元に広がるだけで、通行人に対して飛び掛ってきたりするような恐怖は味わうことなくすむ。

そして、もう1種類は橋の上からえさをばら撒く人…。
この種の人は、好きな時間に好きなだけえさをばら撒きに来る。
一応、橋から川に向けてえさを放り投げてはいるのであるが、ゆりかもめたちは、えさをやる人の周りに3次元に群がり、歩行者用道路だけでなく、車道まで迷惑をかけている。

前者はまだほほえましく見ていられるのであるが、問題は後者。
後者の人たちを見かけるたび、正直、胸の中にものすごくもやもやとした嫌な気分を味わっていた。

そのもやもやとした嫌な気分を言葉に代えてくれた漫画をつい最近読むことができた。

 鬼外カルテ其ノ壱拾弐 猫の王国 碧也ぴんく

ちょいとメルヘンなタイトルで、内容も実は多少メルヘンなのだが、人と猫とのかかわりについて語りかけてくれる作品である。

この作品の中に暗がりを自転車でやってきて、道端に残飯をばら撒いて猫にえさをやっているおばさんの話が出てくる。
猫に対してのアクションは、道端に残飯(内容は猫の体のことを考えているとは言えない食材含む)をばら撒くだけ…それ以外…たとえば猫に避妊手術を受けさせるでもトイレの世話をするわけでもなく、ただばら撒くだけ。
注意をしてものらりくらりと嘘をついてまた別の場所で同じことを繰り返す。

そのおばさんに対して注意をする人も登場するのだが、その人曰くそのおばさんの行動は

 責任もって世話をするわけでもなく、
 気まぐれでかわいがっているだけの自己満足


その無責任で気まぐれな自己満足の愛情に振り回される猫が、害獣化したり、人や車を恐れなくなって不幸な死を遂げたりしている…と。

そうか、あの橋の上からゆりかもめにえさをやる人も、自身の自己満足のために回りに迷惑をかけていたのだな、と、胸の中のもやもやの正体を明かしてくれた。

そろそろ、鴨川からもゆりかもめはいなくなった時期であろう。
今度の冬にまたゆりかもめが来るころに、また、自己満足のためにゆりかもめに危ないことをさせる人が現れないことを願う。