「理科離れ」は理科が生活の役に立つことに気がついていないからでは?

理科離れ」なんて言葉がたまにお目にかかることがあります。

私は「理科」は好きです。
ですから、「理科」って毛嫌いされるようなものなんでしょうか?と不思議に思っています。
「理科」自体が、何か勘違いされている分野のような気がしてならないんです。

そんな中、こんな記事が出ていました。
生きがい論は若者に通用するか
「理系離れ」の背景にあるもの

番組のほかの回は、ほとんどが物理、化学、生物などの、いかにも“理科的”な内容で、私が出演した回のような「ものづくり」や「技術開発」についての企画は珍しいようだった。もちろん、あまりものづくりの話が多過ぎても、理科教育という企画の趣旨から外れてしまうし、「ものづくりの仕事」を子供に紹介するのは社会科の範疇かもしれない。だが、ものづくりの仕組みや現場を、もっと理科の授業でうまく取り上げてもいいのではないかと感じた。
ものづくりの仕組みや現場を理科の授業で巧く取り上げるという案は大賛成ですよ。
現に、理科の時間の実験のとき、カルメ焼きのような実用性のあるものはみんな大はしゃぎでやっていましたので、効果大だと思います。

ただ、その「ものづくりの仕組み」や「ものづくりの現場」として設定している場所がまず遠いのではないですかね?

理系離れの原因は、教員の多様性のなさにあり

 小学校や中学での理科教育は、科学技術教育の入り口で重要な位置づけを占める。私は、理科や算数を教える人材の多様性が低く、内容が理学系の学問分野に偏りがちな傾向が「理系離れ」の大きな要因の1つだと考えている。理科や算数を教える教員は、開発現場やものづくりを経験したことのない人材がほとんどだ。この傾向は、小学校だけでなく、中学校、高校、さらに大学の教養課程まで続く。これでは、子供たちに技術開発やものづくりの楽しさ、大切さがなかなか伝わらないと懸念してしまうのだ。

大きな要因の一つという前提で仰ってはいますが、「開発現場やものづくりを経験したことのない人材が教員をしている」というのは、非常にショートカットなご意見かなと感じます。

そもそも、理科や算数を教える教員は、何故、理科や算数という教科を教えているのかを理解してらっしゃるのでしょうか?
職業・教員としてのカリキュラムの中では、理科や算数を教える意味というのはどういうふうに教えられているのでしょうか?

不勉強で申し訳ないのですが、この教員が持つべき「理科」の必要性の感覚については、私は知りません。
知らないのですが、教員の方には「理科」を学ぶ背景には、こういうことを知っておいてほしいかと思います。

 「理科」には、生活の知恵がいっぱいつまっています!

先に、「ものづくりの仕組み」や「ものづくりの現場」として設定している場所がまず遠いのではないですかね?と書きました。
この記事の筆者は、社会に出てお勤めされている方…例えば製造業などの現場をもっと知ってもらうべきだと感じておられるようです。
この辺に、先に述べた「理科」自体が、何か勘違いされている…と感じる部分が潜んでいるように思います。
ものづくりの現場は製造業にあるのですか?リニアモーターカーなどの国家研究プロジェクトが現場だと思われている?

もっと身近に「ものづくりの仕組み」や「ものづくりの現場」があるじゃあないですか。

 ・味のしみたおいしいおでんを作るには、ちょっとだけ煮込んで、冷ます
 ・乾いていない洗濯物を乾かすには、扇風機の風を当ててやる
 ・水で洗い流せない油汚れは石鹸を使うと水で洗い流せる


家事の知恵ですよ。
上記の3点、全部、理科で説明が出来るでしょう?
教員の方は、こういうことを子供達に教えられていますか?

応用すれば、

 ・家庭菜園(生物系)
 ・ケーキ作り(化学系)


これらだって、理科を絡めて学習できるのではないのでしょうか?
ケーキのスポンジ作ったりするのだって理科の実験にならないのかなぁ?カルメ焼きの実験だけじゃつまんないですよ?

ちなみに、カルメ焼きの実験はこういう太田胃散を使った楽しみかたもあるようですw
こういうのも理科の面白いところじゃないのかなぁ?



…といろいろ書いてみましたが、実は、私は、親もそういう目線でいろいろ子供に教えたりやらせたりしてやったら、勝手に理科好きになると思っています。
大きな原因と仰っている「教員の質」がらみの問題より、親の姿勢のほうが大きい問題と思います。